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今月の法話

令和8年3月 No.455
浄土まれるいのちを きている

 6年前に父が先立った後、実家には母が一人で暮らしていましたが、その母も体調を崩し、1年ほど入院していることがありました。その間は、実家に帰っても、誰もいない状況でした。月に一度は帰っておりましたが、誰もいない実家に帰るのは、本当に寂しいものでありました。

 そんな中、入院している母のところへ、ときどきお見舞いに行きました。私がお見舞いに行くと、母はいつも、申し訳なさそうな顔をして「忙しいのに、ごめんね」と言います。「ごめんね」と迎えられると、何だか切ない気持ちになって、病院を後にしていました。

 母が入院してから半年くらい経ったころ、いつもと違う日がありました。私はいつも通り、母から頼まれた物を持って病院に向かいます。「調子はどう?」と言いながら病室に入ると、母が私の顔を見て、とっても穏やかな表情で「あぁ、おかえり!」と言ったんです。私はその「おかえり」という響きが、とてもあたたかく感じられました。母はすぐに「ここは病院だった。間違えた」と訂正していましたが、「ごめんね」よりも「おかえり」と迎えられる方が嬉しくて、言葉の響きが全く違うと感じました。

 私は、正直なところ、お見舞いに行ったときにしか母のことを考えていなかったのですが、母は違ったのだと思います。私のことを想い、ずっと待っていたからこそ、とっさに「おかえり」という言葉が出たんだと思います。その場所が実家なのか病室なのかは問題ではなく、「私のことを心から待っていてくれる存在がいるところに、安心して帰ることができるんだ。そこが私にとって本当の帰る場所になるんだ」と感じ、あたたかい気持ちになって、病室を後にしたことが思い出されます。

 たとえ私の方が忘れてしまうときがあっても、お浄土に生まれ、仏さまとなられた方々は、私たちのことを決して忘れることなく、いつでも大切に想い続けてくださっています。この人生、辛いことも悲しいこともあるけれど、「よく頑張ってきたね。おかえり!」と、迎えてくださる世界がお浄土の世界であります。さまは、「あなたを必ずお浄土に迎えとるから、安心してまかせよ」とはたらき続けてくださっています。死んでおしまいではなく、お浄土に生まれていくいのちを、今生きていることを慶ばせていただきましょう。

大阪府東大阪市 本照寺 鴬地 清登

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