法話を聞く・読む / 今月の法話

今月の法話

令和4年9月 No.413
往生 浄土へと日々たにまれ

 4月初めに、メロンの苗をもとめて育ててから、大小5個のメロンの実に育ち、大きいものでは両手ぐらい、小さいもので親指ほどのサイズに育ちました。最近、その大小ある中くらいのメロンが苗木から落ちていて、そのメロンを切って冷蔵庫に保存することを躊躇いました。それは、大きいサイズのメロンのほうが育ちもよく甘くて美味しいと思っていたからです。しかし、そのメロンを切り家族が口にした時「このメロン甘くて美味しい」と言ったのです。その瞬間考えさせられました、大きいものが育ちも良く美味しい、小さいのはまだまだ育ってないから美味しくない。それはただ私の勝手な思い込みに過ぎないことを。これが逆に、大小に関わらずメロンそのもの味がしなく甘くなかったら「やっぱりまだまだ育ってないから美味しくないんだよね」と言葉にしていた私がいたでしょう。私の側で、あれやこれやと色付けをし、物事にまで良し悪しをつけてしまう私がいる事を知ることでした。

 仏さまの教えに『往生』という言葉があります。そのまま読めばまれる。どこに往き、どこに生まれるのか。それは阿弥陀さまのおひらきくださいますお浄土に、どんな時でもひとしく・何に対しても・どのような状況でも誰彼と分けへだてることのない、ひらかれた土に仏のいのちとして往き生まれる道と大切に味わっていきたいことであります。

 私は、これまでさまざまな場面や関りの中でいろんな『であい』をしながら、いくつもの成功や失敗を重ねて今があります。しかし、そこに同じことを重ねながらも、私のありのままを引き受けられていると感じられたときに、またそのように聞いていけるときに安心に包まれてホッとしてゆける瞬間に出遇っていけます。

 私もそうでした。私も同じく一緒です。おかげさまです。ありがたいことでした。そうした出遇いに触れていく中で、私の心が大きな安心に転じられ少しずつ少しずつかもしれませんが、私も前へと歩みを進めることができると思うのです。そのことが、今!ここに!私に!『大丈夫、大丈夫』とはたらく『そのままを引受けてくださっている』往生への道がもうすでに、阿弥陀さまの側からひらいてくださっているのであります。

いちき串木野市 広済寺 井上 昌隆

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