法話を聞く・読む / 今月の法話
今月の法話
仏さまを拝んでいますか 欲望を拝んでいませんか
南無阿弥陀仏の御心。それは、願いで仕上がっております。その願いを本願といただきます。本願とは、「あなたを必ず救う。そのいのちを抱きとり、お浄土に生れさせ、仏にならしめん」という、浄土真宗のご本尊、阿弥陀さまの願いです。
この私は今、生死といういのちを抱えた身です。生と死と書いて生死です。このいのちのありように目が向けば、なかなか受け入れ難いことがあるのかも知れません。それを、生死というのは苦なりとお釈迦さまはお示しでありました。生きる中で思い通りにならないことを数多く経験し、そして、いのち終えていくことも思い通りにならない。思い通りにならない一つひとつに、我々は迷い苦しみ、このいのちにさえ、不平不満をぶつけてしまうのです。
いのちを見つめるというのは、なかなか深いことでしょうか。当たり前にあるいのちであると思うならば、「なんでこんな目にあわないといけないのか」とか、「もっとこうなればいいのに」という思いも持ってしまいます。このいのちに、私が願いを持ってしまうのですね。それが悪いわけではありませんが、このいのちに願いを持つならば、その願いはどこまでも底知れない願いとなっているのではないでしょうか。「もっともっと」と、尽きない願いに苦しんでしまう。そうした自分の願いに、我々は苦しむのです。
だからこそ、生死のこの身を放っておかないと、阿弥陀さまが必ず救うという願いを起こされました。願いの方向が逆だったのです。そして、その願いが届いてくださったあらわれが南無阿弥陀仏のお念仏なのです。手を合わせお念仏申す姿、すなわち、仏さまを拝むその姿は、「必ず浄土に生れさせ仏にならしめん」という阿弥陀さま一方通行のお約束の中に、生死の身に気づかされながらも、お浄土を依りどころにしながら、この生死のいのちにこそ、唯一お礼を申すことのできる姿でありました。
阿弥陀さまの願いを依りどころに、生死の迷いを超える唯一の大道、お念仏申す人生をともに歩ませていただきましょう。
福岡県那珂川市 真教寺 井上 浄英
今月の法話 バックナンバー(過去1年分)
下記より過去1年間の今月の法話のバックナンバーをご覧いただけます。
- 令和7年2月No.442『智慧光 光につつまれたからこそ気づけることがある』/藤 清道 (鹿児島県)
- 令和7年1月No.441『年頭の辞』/大谷 光淳 (門主)
- 令和6年12月No.440『年の暮れ 何気ない日常にこそ幸せがある』/山﨑 弘純 (鹿児島県)
- 令和6年11月No.439『驕りは人間を滅ぼし争いは世界を滅ぼす』/福山 智昭 (福岡県)
- 令和6年10月No.438『聞法は終活でなく生の糧である』/安方 哲爾 (大阪府)
- 令和6年9月No.437『叱られた恩を忘れず墓参り』/大松 龍昭 (熊本県)
- 令和6年8月No.436『見送るも見送られるも倶会一処』/藤澤 彰祐 (滋賀県)
- 令和6年7月No.435『私は比べられたくないが他人の事は比べている』/柴田 弘司 (福岡県)
- 令和6年6月No.434『晴れの日もよし雨もよし いつも仏の慈悲の中』/中山 浩司 (山口県)
- 令和6年5月No.433『辛いときは辛いと言っていいんだよ』/星野 奏眞 (福岡県)
- 令和6年4月No.432『「お互いさま」許されながら生きている』/小林 邦顕 (広島県)
- 令和6年3月No.431『楽しい時に笑顔が育ち 苦しい時に心が育つ』/福岡 智哉 (兵庫県)