法話を聞く・読む / 今月の法話
今月の法話
今年も泣いた笑った生きてきた
12月の言葉は「今年も泣いた笑った生きてきた」です。人それぞれいろいろな人生があります。いくら双子とはいえ同じ人生ではありません。しかし大体の人が同じ経験をすることもあります。お釈迦さまはそれを四苦八苦とおっしゃってくださいました。本日はこのお言葉の味わいについてお話しします。
【四苦八苦】という言葉は現在日常的に使われます。三省堂『新明解 国語辞典』には、「人間生活において味わう、大きな苦しみ」または「つらい事が多くて非常に苦しむこと」とあります。四苦八苦とは四苦と八苦を合わせて十二苦ではなく、先に申したようにお釈迦さまが、我々が根本的に受けねばならない四苦(生苦・老苦・病苦・死苦)と別に四苦(愛別離苦・怨憎会苦・求
不得苦・五蘊盛苦)を合わせて八苦ありますと示してくださいました。そして仏教で「苦」とは思い通りにならないことです。
まず生苦ですが、生まれる一つにしても思い通りになりません。いくら医学が発展しようとも我々の境涯(世界)は悲しいかな生まれてこれないという命もあります。思い通りになりません。次に老苦・病苦です。生まれてからの身体の変化を「成長」と言ってきましたが、同じ身体の変化を今では「老化」と言います。そしてそれはV字回復しません。病も思い通りになりません。新型コロナウイルスで良く分かりました。
最後は死苦です。もしかするとこれが一番思い通りにならないのかもしれません。僧侶の先輩にも若くして亡くなった方、事故で亡くなった方もおられます。ではその方々がろくでもない方であったかというとそうではありません。私よりよほど立派で素敵な方々でした。お釈迦さまは、苦しみ多き人生であるが、一日一日を大切に生きなさいとおっしゃいます。われわれが仰がせていただく阿弥陀さまという仏さまは、「あなたが一番うまくいかず、大事な命終えていかねばならないという大仕事を、あなたの仕事ではなく、私の仕事にさせてくれないか。あなたがどのような人生であろうが、どのような最期であろうとも暗い海の底に沈んでいくような命ではなく、光のお浄土という世界に生まれさせ、おさとりの身である仏にさせるからまかせなさい、安心しなさい」と、この身に満ちてくださっているのが南無阿弥陀仏の仏さまです。カレンダーの言葉にありますように、私たちは日々泣くことも笑うこともあります。しかしどのような人生であろうと、どのように変わり果てようともいつも阿弥陀さまがご一緒です。
合掌
兵庫県神戸市 源光寺 源 裕樹
今月の法話 バックナンバー(過去1年分)
下記より過去1年間の今月の法話のバックナンバーをご覧いただけます。
- 令和5年11月No.427『聴聞 ひたすら道を聞き開く』/藤 清道 (鹿児島県)
- 令和5年10月No.426『厳しい言葉に我に返り 甘い言葉に我を忘れる』/津守 秀憲 (兵庫県)
- 令和5年9月No.425『秋彼岸 いのちの灯が相続されていく』/郡浦 智明 (熊本県)
- 令和5年8月No.424『悲しみ痛みに共感できる自分でありたい』/舟川 智也 (福岡県)
- 令和5年7月No.423『比べることが悩みのタネに』/伯 浄教 (山口県)
- 令和5年6月No.422『世間虚仮 この社会に正解はない』/弓 教英 (佐賀県)
- 令和5年5月No.421『本願力にあいぬれば むなしくすぐる人ぞなき』/橋本 孝生 (佐賀県)
- 令和5年4月No.420『順縁・逆縁 すべてがお育てとなる』/松浦 成秀 (山口県)
- 令和5年3月No.419『大切な人と今日話そう』/藤野 和成 (三重県)
- 令和5年2月No.418『拝む如来に拝まれて』/深水 謙昭 (広島県)
- 令和5年1月No.417『年頭の辞』/大谷 光淳 (門主)
- 令和4年12月No.416『終わり方が始まり方を決める』/伊川 大慶 (広島県)