法話を聞く・読む / 今月の法話

今月の法話

令和8年7月 No.459
わりゆくえる わらない

 ある研修会で同期の受講生に年齢をお聞きすると、「〇〇歳にならせていただきます」と言われてハッとしました。さまざまな関係性やお支えの上に私という存在がある、ということに出あうとき「おかげさまで、ならせてもらう」と。

 ところでもうすぐ私は五十歳にならせてもらうのですが、その実感や心の準備はすこしも出来ていません。年齢の項目に「五十歳」と記入する…みたいなことと向き合うとき、漠然とした不安が心をよぎります。ならばこの不安の正体は何かと考えてみると、「できることならばいつまでも変わらずにいたいものだ」という内なる願いに他ならないと気づかされます。何をどう思うとも時間は過ぎゆき、私は常に変化し移ろうものであるということを、お釈迦さまは諸行無常と仰せになりました。

 この漠然とした不安に下を向く私を見抜いて、さまはの声となって、私の人生を底支えするようにご一緒くださいます。『仏説無量寿経』というお経さまには「生死勤苦の本を抜かしめたまへ(あなたの人生の苦悩を、その根本から解決する)」とあります。私のと死を丸ごと引き受けて、その意味を変えてゆくことによって、私の人生の苦しみを根本から解決したいと願われました。この願いを「本願」と言い、この本願は時間と空間を超えて存在し続ける、普遍的なものです。いつの時代にあっても、どの場所にいても、その人に色あせない安心をもたらすことができるからです。

 この本願という阿弥陀さまのお心に出遇い、よろこぶ心が開きおこるとき、たとえば、「なる」ものが「ならせてもらう」ものに転じていきます。変わりゆくということは、見方を変えれば、変わることができるということです。真実によび覚まされて、私の人生の軌道が修正されてゆくのです。そのような意味において、変わらない願いに出遇うとは、私が阿弥陀さまによって変えられてゆくということだと言えます。

熊本県八代郡 西福寺 三原 哲信

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