法話を聞く・読む / 今月の法話
今月の法話
拝む如来に拝まれて
私のお預かりしている西念寺・本堂の欄間には、金箔で彩られた彫刻の牡丹の花が綺麗に咲いています。この欄間は少し変わっておりまして、外陣から見えるすべての牡丹の花が綺麗に咲いているのですが、なぜか、真正面の牡丹の花だけひっくり返っているのです。そのため正面からは見えないので咲いているかもよくわからず、小さな頃からおかしな欄間だなあと思って見ておりました。しかしあるとき、そのひっくり返った牡丹の花が意味することを教えてもらうご縁がありました。
そのひっくり返った牡丹の花、実は私の命の姿を表していたのです。阿弥陀さまという仏さまは全てのものを救うという仏さまです。全てのものということは、若い人もお年を召された人も全てです。元気な人も病にかかっているも全てです。綺麗な花を咲かせた人も咲かせられない人も全てです。しかしみなさん、人生において綺麗な花を咲かせることができたでしょうか。 元気なときと若いとき、期間限定では人生の綺麗な花を咲かせることができたかもしれません。しかし生涯で言いますと、綺麗な花を咲かせたくても咲かせられないのが私たちの本当の姿ではないでしょうか。愛する人と出会ったのにも関わらず別れていかなければいけない、思い通りにはいかないのが私たちの命です。私たちの本当の姿は一人孤独でおののいて、「誰もわかっちゃくれない」と背を向けて、涙を流しているのが私たちではないでしょうか。まさに欄間のひっくり返った牡丹の花は、悲しみを抱えた私の命の姿を表しているのでした。
しかしそのひっくり返った私を表す牡丹の花、本堂ではどういう構図になっているかというと、実は真正面から阿弥陀さまがご覧になっているのです。阿弥陀さまのお救いは、綺麗な花を咲かせたものがお救いの目当てではなくて、まさに悲しみ抱えた綺麗な花を咲かせられないものこそお救いのど真ん中ですよと、南無阿弥陀仏のお救いを目で見て味わえるようにしているのが本堂のひっくり返った牡丹の花でありました。
阿弥陀さまは、私の姿を全部見抜いてくださっています。その私を責めることなく咎めることなく、ただただあなたを救うと南無阿弥陀仏とお救いを告げてくださいます。
広島県三原市 西念寺 深水 謙昭
今月の法話 バックナンバー(過去1年分)
下記より過去1年間の今月の法話のバックナンバーをご覧いただけます。
- 令和5年1月No.417『年頭の辞』/大谷 光淳 (門主)
- 令和4年12月No.416『終わり方が始まり方を決める』/伊川 大慶 (広島県)
- 令和4年11月No.415『仕合せは 比べるものではなく 気づいていくもの』/志摩田真生(福岡県)
- 令和4年10月No.414『相手の目線でみると 違った世界が見えてくる』/鴬地 清登 (大阪府)
- 令和4年9月No.413『往生 浄土へと日々新たに生まれ往く』/井上 昌隆 (鹿児島県)
- 令和4年8月No.412『亡き人が私と仏法の縁となる』/徳正 俊平 (広島県)
- 令和4年7月No.411『蝉しぐれ 今日の一日を惜しみつつ』/服部 法紹 (広島県)
- 令和4年6月No.410『見えるものだけが すべてではない』/宮武 大悟 (広島県)
- 令和4年5月No.409『思うこと一つかなえば また一つ』/石丸 涼道 (山口県)
- 令和4年4月No.408『縁起 縁によって咲き 縁によって散る』/三原 哲信 (熊本県)
- 令和4年3月No.407『なければないで苦しみ あればあるで苦しむ』/佐藤 知水 (岡山県)
- 令和4年2月No.406『ただ『今』を生きる』/岩尾 秀紀 (宮崎県)