法話を聞く・読む / 今月の法話

今月の法話

令和7年7月 No.447
自分しみをとおして人間しみをしる(宮城 顗)

 ある住職さんが何年か前にお寺の本堂をすべて椅子席に替えられました。これは座ることが困難な方も気兼ねなくお寺に参れるようにとの配慮でした。しかし、その何年か後に「まさかこの椅子席が自分のためになるとは思いもしなかった」とおっしゃられたのです。私はその言葉をただ黙って聞いていました。

 私はまだ椅子はなくともお参りすることができます。しかし、私もその住職さんのようにやがて椅子が必要となるときがやってくるのかもしれません。今はまだわかりませんが、そのときになってはじめて住職さんの言葉の本当の意味を知るのだろうと思います。

 ひとは他人の思いを知ることはできません。自身が同じ境遇に立つとき、はじめて他人の思いを知るのでしょう。もしかすると自身に降りかかる悲しみは、他人の悲しみを知らせていただくご縁なのかもしれません。

 仏教を学ぶということは仏さまの心を学ばせていただくことです。それはすなはち他人の悲しみを自らの悲しみとして受け止めていく心です。そのことを善導大師は「学仏大悲心」と示されました。それは決して他人より賢くなるために学ぶのではなく、他人の悲しみを知るものに育てられていくことが仏教を学ぶことの意味なのでしょう。

 仏さまの心を学び、その心を人生の目標として生きていくなかに、そうではない自身の心に気づかされます。そのような状況を反省の意を込めて
親鸞聖人は「凡夫」とお示しくださいました。念仏者とはそのような仏さまのお育ての中を生きているのです。

大阪府枚方市 法音寺 朝山 大俊

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