法話を聞く・読む / 今月の法話
今月の法話
叱られた恩を忘れず墓参り
4年前のある日のことです。その日に月参りに向かったお宅は、近くまで行けば直線の道路に入り、そこをしばらく走って丁字路を左折した先にある、それは百も承知しているのです。ところがその日、私はその丁字路を通り過ぎてしまいました。そして引き返した2回目も、なぜか私はその丁字路を通り過ぎてしまうのです。さすがに動揺しつつも、再度Uターンした3回目、私はスピードを落として充分に注意して走ったのですが、何とまたもや素通りしてしまったのです。「どうして?」と思い、車から降りてみると、先月まではその丁字路の角に立っていた古い小屋が、よくよく見たら解体されていて更地になっていたのです。「なるほど」と思いました。つまり、私がそのお宅への道を覚えていたのではなく、その小屋が大切な目印となり、私はそれにただ導かれていたに過ぎなかったのです。
歳を重ねていきますと、今の自分があるのは、これまでの自分の努力と苦労があってこそと、口には出さずとも誰もがどこかで思っています。それは間違いではありません。歯を食いしばって、何度も涙を堪えて踏ん張って生きてきたお互いなのですから。しかし、阿弥陀さまの眼を通して我が身を振り返れば、きっと違った景色が見えてくるのではないでしょうか。
つまり、人生には幾度も大切な局面があったはずです。その局面において、私のために目印・道標の役目をしてくれた人がいらっしゃったのではないでしょうか。そしてそれに導かれてはまた導かれていまの私がある、それが阿弥陀さまの眼によって明らかとなる私の真実だと思うのです。だとすれば、私にとってその方々はいったい誰なのでしょうか。それはまだ隣にいてくれている方かもしれないし、離れた所にいらっしゃる人かもしれなし、それは複数いらっしゃるに違いありません。そしてその多くは、すでに亡くなったあの方々である可能性が大いにあるわけです。
亡き方に心を向ける仏縁をいただき、忘れかけていたその大いなる「ご恩」に気づかされたならば、どれほど幸いなことでしょうか。
やがて秋のお彼岸を迎えます。
熊本県八代市 大法寺 大松 龍昭
今月の法話 バックナンバー(過去1年分)
下記より過去1年間の今月の法話のバックナンバーをご覧いただけます。
- 令和6年8月No.436『見送るも見送られるも倶会一処』/藤澤 彰祐 (滋賀県)
- 令和6年7月No.435『私は比べられたくないが他人の事は比べている』/柴田 弘司 (福岡県)
- 令和6年6月No.434『晴れの日もよし雨もよし いつも仏の慈悲の中』/中山 浩司 (山口県)
- 令和6年5月No.433『辛いときは辛いと言っていいんだよ』/星野 奏眞 (福岡県)
- 令和6年4月No.432『「お互いさま」許されながら生きている』/小林 邦顕 (広島県)
- 令和6年3月No.431『楽しい時に笑顔が育ち 苦しい時に心が育つ』/福岡 智哉 (兵庫県)
- 令和6年2月No.430『梅一輪 大千世界の 春やどす』/松崎 智海 (福岡県)
- 令和6年1月No.429『年頭の辞』/大谷 光淳 (門主)
- 令和5年12月No.428『今年も泣いた笑った生きてきた』/源 裕樹 (兵庫県)
- 令和5年11月No.427『聴聞 ひたすら道を聞き開く』/藤 清道 (鹿児島県)
- 令和5年10月No.426『厳しい言葉に我に返り 甘い言葉に我を忘れる』/津守 秀憲 (兵庫県)
- 令和5年9月No.425『秋彼岸 いのちの灯が相続されていく』/郡浦 智明 (熊本県)