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今月の法話

令和2年12月 No.392
生かされて 過ぎゆく年に ありがとう

 「当たり前」という言葉の反対語は何か、それは「有り難い」であるというお話をお聴聞させていただいたことがあります。これは、普段私たちが当たり前に考えている物事こそ、その裏には数え切れないほどのご縁や支えをいただく中に、おかげさまがあるということです。本来有ることが難しいものを、私たちはまるでそれが当然のように受け取って過ごしてしまっています。その代表的なものが、今生かされているという、私のいのちの姿ではないでしょうか。

 仏教では「諸行無常」と言い、あらゆるものは常に移り変わり、永遠に存在するものは無いと説きます。もちろん私のいのちも例外ではありません。次の瞬間にはもう終わるかもしれないいのちをたまたま生かされ、生きているのです。阿弥陀さまに出遇い「ナマンダブツ」のお念仏をいただくと、正しいいのちの姿に気付かされます。

 それは、生まれること、生きていることが「当たり前・必然」、死ぬことが「たまたま・偶然」と思っていた私がそうではなかった。生きていることこそ「たまたま」、生まれたなら死ぬことこそ「必然」であると、私の価値観や常識が転じられていく見方をいただくということです。自分一人で生きているのではなく、おかげさまの中に生かされていることに気付かされるということです。
12月は1年の終わりという大きな区切りの月です。今月の法語を通して今年を振り返り、様々なご縁、おかげさまの中で今生かされているいのちに感謝しつつ、お念仏申す日々を歩ませていただきましょう。

福岡県直方市 明元寺 鷹取 直道

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