法話を聞く・読む / 今月の法話

今月の法話

令和6年12月 No.440
れ 何気ない日常にこそせがある

 江戸時代の俳人小林茶の俳句文集『おらが春』。当時は、生まれた年を1歳と数え、その後は新年を迎えるごとに1歳を加算する「数え年」で年齢を表しました。5月に生まれたばかりの娘のさとが2歳になる正月が待ちきれず、年の暮れに一茶が詠んだ句が

  這え笑え 二つになるぞ 今朝からは

 我が子の成長する姿を楽しみにしている、親としての一茶のよろこびが伝わってきます。一茶は52歳で結婚し、長男を授かりますが、わずかひと月ほどで先立たれています。先立たれた寂しさもあってか、一人娘の成長がより一層嬉しかったことでしょう。しかしその一人娘さとも当時蔓延していたウイルス感染症の天然痘によって、1年2ヶ月の命を終えていかれました。そして、その年の暮れに一茶が詠んだ句が

  ともかくも あなた任せの としの暮

 ここのあなたはを意味し、「すべてのことは阿弥陀仏のままに」という内容です。一茶は念仏の風土に培われた地で育った浄土真宗のご門徒で、この句は一人娘との別れの悲しみの中で「阿弥陀さまとの対話」を詠んだものと考えられています。

  「一茶よ、辛いな悲しいな。でもな、決して一人じゃない。安心してこの阿弥陀に任せよ」

  「はい、阿弥陀さま。別れは悲しいけれども、
   死んで終わりじゃないのですね。全てお任せいたします」

 今年も1年が終わります。振り返ったとき、思いも寄らない出来事や変わり映えのない日々などその1年はそれぞれです。しかしその1年は同じ1年です。長くも短くもありません。たくさん悩み、たくさん苦しみ、たくさん悲しみ、たくさん笑った、かけがえのない1年です。

 どんな1年であろうとも、どんな私であろうとも、変わらずにその大きなお慈悲で包み込んでくださる阿弥陀さまがご一緒です。簡単に右往左往するのが私です。でも、だからこそ、阿弥陀さまのお救いは今ここに届いてくださいます。阿弥陀さまは私に向かって「悩むな」とはおっしゃらず、その悩みごと、私の全てを包み込んでくださるのです。どんなに右往左往しようとも阿弥陀さまのあたたかいお慈悲の真っ只中。ですから、いつでも「安心して思いっきり悩んでいいんだ」と心が少し穏やかになります。

 今年も1年、日々の暮らしを阿弥陀さまのお慈悲の中で送らせていただきました。新しい1年もまたお念仏とともに、日々を送らせていただきましょう。

鹿児島県鹿児島市 本願寺鹿児島別院 山﨑 弘純

サイト表示 : スマートフォン版パソコン版