法話を聞く・読む / 今月の法話
今月の法話
ご命日はお浄土に生まれた日
先立たれた方に対する、残された者の正しい態度は「あなたの死を決して無駄にはしない」ということでしょう。その方のご命日は、ただ亡くなられた日でなく、いつ・どこで・どのように命を終えようとも、必ず浄土へ生まれさせ仏にするという阿弥陀さまに抱かれて、お浄土へご往生(往き生まれる)された日といただき、今を生かされ、いずれ終わっていかねばならない私自身の命を見つめなおすご法縁とさせていただくのです。
本願寺8代目宗主蓮如上人の御文章(お手紙)には「老少不定」という言葉が何度も出てきます。これは、老いた者が先に命を終え、若い者は後ということは決まっていない。命を終えることに年齢は関係ない。更には年齢だけではなく、たとえ健康であったとしても死の縁にあえば、この命は終わっていかねばならないことを表しています。私たちは「いつか終わる」と考えていますが、現実は「いつでも終わる」命を縁が整い、たまたま生かされていたのでした。厳しい言葉ですが、この言葉によって現実を知らされた者は、生きていることが「当たり前」から、生きていることは「有り難い」と気付かされます。そこには、誰かが切実に生きたかった一日を、私は生かされているという感動・感謝・喜び・驚きがあるのです。
大切な方との別れは寂しく、悲しいものです。「時間が解決してくれる」と聞きますが、この悲しみを癒し、安らかにしていくのは時間というだけでは不十分です。きっと折に触れ涙が流れることもあるでしょう。しかし、この別れにどのような意味があるのか。悲しいけれど、この別れによって大切なことを知らされた。この別れには深く尊い意味があった。「あなたのおかげで」と手が合わさるならば、きっと悲しみが悲しみのままでは終わらない道が開かれるはずです。
最後に、親鸞聖人が晩年お弟子に宛てられたお手紙には「必ず、必ず浄土で待っていますよ」とあります。待っているというのは「来なくていい」ということでは決してないのです。そこには「あなたも来てください」という思いがあります。先だった方の姿はたとえ見えなくても、「また会いましょう」と心を通わせることができます。ご命日には、そのような思いで過ごしたいものです。
山口県岩国市 教法寺 筑波 敬道
今月の法話 バックナンバー(過去1年分)
下記より過去1年間の今月の法話のバックナンバーをご覧いただけます。
- 令和7年10月No.450『ちがいがあっても輝きあえる』/森 祐真 (大阪府)
- 令和7年9月No.449『「ご恩送り」いただいた「ご恩」のおすそわけ』/岡村 遵賢 (山口県)
- 令和7年8月No.448『「追悼」同じ過ちは二度と繰り返しません』/石丸 涼道 (山口県)
- 令和7年7月No.447『自分の悲しみをとおして人間の悲しみをしる(宮城 顗)』/朝山 大俊 (大阪府)
- 令和7年6月No.446『思い通りにしようという思いが苦しみを生む』/吉村 礼応 (宮崎県)
- 令和7年5月No.445『一番より尊いビリだってある』/大道 修 (熊本県)
- 令和7年4月No.444『吹く風を受けて散る花 ひらく花』/安徳 剛典 (大阪府)
- 令和7年3月No.443『仏さまを拝んでいますか 欲望を拝んでいませんか』/井上 浄英 (福岡県)
- 令和7年2月No.442『智慧光 光につつまれたからこそ気づけることがある』/藤 清道 (鹿児島県)
- 令和7年1月No.441『年頭の辞』/大谷 光淳 (門主)
- 令和6年12月No.440『年の暮れ 何気ない日常にこそ幸せがある』/山﨑 弘純 (鹿児島県)
- 令和6年11月No.439『驕りは人間を滅ぼし争いは世界を滅ぼす』/福山 智昭 (福岡県)



