法話を聞く・読む / 今月の法話 バックナンバー(No.444)

今月の法話  バックナンバー(No.444)

令和7年4月 No.444
けて ひらく

 春の訪れを縁として散りゆく花もあれば、咲く花もあります。世間においても春を迎え卒業をする人もいれば、入学する人もいます。あるご門徒さんは40年勤めた会社を退職し、新しい人生が始まるといいました。そんな人生の分岐点を迎える方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 私たちは必ず無常の風、死の縁に合間見えます。私はいま47歳です。40代を迎えて時々この避けられない縁が私にも来るんだなと考えることがあります。そうしたとき1日を大切に生活しようと思うようになりました。歳のせいかとも思いましたが、同世代の友人に訪ねると「死ぬ時が来るなんて考えない」との答えがほとんどです。ならばこの思いは「生まれて来たからには必ず死ぬ。そして順番は決まっていない」とのお釈迦さまのお言葉を縁として開かれる世界なのかもしれません。

 では「死んだらどうなる?どこへ行くのか?」と訊ねると「天国に行く」とか「死んだらしまい」とか「無になる」等と返ってきます。あなたは自身の命の問題に答えをお持ちですか?私の場合は無常の風が吹き、その風を縁として、この度までやって来ました。娑婆世界を卒業し、極楽浄土に生まれ仏さまと成らせていただく。これは阿弥陀さま(
)にわせていただいたご縁から開かれる世界です。

 阿弥陀さまは、自己中心の心(煩悩)をかかえて生きるが故に悩み苦しんでいる私たちのため、生まれて来たからには必ず死をむかえなければならない。大切な人と命のお別れをしなければならない私たちのために、極楽浄土という世界をご用意くださりました。その浄土に「必ず生まれさせて仏にするから安心してあなたの人生を歩んでください。先に行かれた方と必ず会わせますからまた会えると安心しておいてください」と、いま南無阿弥陀仏とおはたらきくださります。その証拠がお念仏です。

 仏さまになるということは、自己中心の心がなくなり全ての命をわが命のように大切にできる世界が開かれることです。好きや嫌いがなく、全ての命を分け隔てなく大切に思える世界。一体どんな世界なのかと少し楽しくもあり待ち遠しく思うこともあります。しかしながら「無常の風よ、どうかまだまだ吹かないでおくれ」と願っているのもまた事実であります。南無阿弥陀仏

大阪府大阪市 養善寺 安徳 剛典

サイト表示 : スマートフォン版パソコン版