法話を聞く・読む / 今月の法話 バックナンバー(No.454)
今月の法話 バックナンバー(No.454)
生かさるる よろこび匂う 春の梅 (中村久子)
中村 久子さんは3歳の頃、病気により両手両足を失ってしまいました。その2年後、5歳のときに父が病気で急死してしまいます。母のあやさんは、どんなに辛い思いをしようとも、幼い久子が一人でも生きていけるようにと決意しました。
しかし、その日々は久子さんにとっても、あやさんにとっても苦しいものでした。母は心を鬼にして厳しく育てました。「着物を解いてごらん」「縫ってみなさい」「硬い紐を結んでみなさい」内職でも仕事ができるようにと、日ごとに要求のレベルは上がっていったのです。久子さんは大粒の涙を流しながら、口を使い、何度も怪我しながら、少しずつできることを増やしていきました。
久子さんが18歳のとき、病気の治療費で借金が重なり、母と別れて暮らさねばならなくなりました。各地を転々とし生きる中で、「母は私を嫌っているのだ」と恨む気持ちが積もっていきました。やがて、母の死の知らせが届きます。そのとき久子さんは、故郷を離れたあの日、ひとりいつまでも見送っていた母の姿を思い出しました。
「私のことを一番に思ってくれていたのは母だったのではないか。若くして夫に先立たれ、手足の不自由な私を抱え、借金まで背負っていた母。その上、自分が命を終えたのちまでも、残された私が生き抜けるようにと教えてくれていたのだ」。そんな母の心を知らずに、どれほど恨んだことでしょう。母のはかりしれない親心にふれたとき、久子さんは気づきます。「自分の力で生きてきたのではなかった。生かしてくださる方があるおかげさまでした」と。
親鸞聖人は「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし」とお示しになりました。阿弥陀さまは、感情一杯に悩み苦しみ涙を流して生きている私に、がんばれとは一切おっしゃらないのです。抱える苦しみを知り抜いて、私が知らずとも、たのまずとも「あなたのために、あなたのために」と私と関わり続けるために、『南無阿弥陀仏』の名となり、声となり、聞こえてくださる仏さまになってくださったのです。
「あなたの命はむなしく終わっていく命ではないよ。お浄土に往き生まれ、仏となる命にもう定めているから、安心してこの人生歩んでおくれ」と阿弥陀さまの大きくあたたかなお心に生かさせていただく、今日一日です。
福岡県田川郡 明念寺 市場 慧樹



