法話を聞く・読む / 今月の法話 バックナンバー(No.430)

今月の法話  バックナンバー(No.430)

令和6年2月 No.430
一輪 大千世界やどす

 今年は暖冬だからか、近所の毎年早めに咲く桜がなんと12月に咲いていました。「珍しいこともあるものだなぁ」とその花を見上げながらふと思ったのは「桜は春を知らない」ということでした。桜は春に花を咲かせます。しかし、桜は春を知って咲いているのではなく、春のはたらきによって花が開くのだということです。花が「ああ、そろそろ春だから咲こう」と自ら咲いているのではないのです。もし花が春を知っていて咲くのであれば、冬に咲くことはありません。そうではなく、春のぬくもりや、日の光が花を咲かせているのです。

 さまが私を救うというはたらきもまた、この春と同じように、私が先ではなく、阿弥陀さまが先にはたらいてくださいます。そしてそのはたらきは、あらゆるものに向けられ、誰一人もらすことはありません。つまり、この私一人に向けられたものと言えるでしょう。このことを
親鸞聖人は「阿弥陀さまが私たちを救おうと五劫もの時間をかけて思案し、建てられた本願は、ただひとえにこの親鸞一人のためでした」と阿弥陀さまの慈悲がご自身に向けられていることをよろこばれました。阿弥陀さまが遥か遠い昔から私一人のためにはたらいてくださった。この私をめあてとして先回りをしてはたらいてくださることをよろこばれたのです。

 私のお預かりするお寺には幼稚園が併設されています。毎年園児に阿弥陀さまの絵を描いてもらっているのですが、必ず「阿弥陀さまはみんなのことが大好きで、とても優しい仏さまだよ」という話をしてから描いてもらうようにしています。

 ある年のこと。子どもたちに絵を描いてもらおうと、いつものように阿弥陀さまのお話をして、最後に子どもたちに「阿弥陀さまについて何か聞いてみたいことはありますか?」と尋ねました。すると一人の子どもが手を挙げて「どうやったら阿弥陀さまと会えますか?」という質問をしてくれました。きっと、お話を聞いているうちに阿弥陀さまに会ってみたくなったのでしょう。私は「そっか、阿弥陀さまに会いたいんだね。それじゃあ、手を合わせてごらん。そして
って言うんだ。そこに阿弥陀さまがいるよ。みんなで言ってみようか」

 子どもたちは素直にお念仏申します。その姿を見ながら、「ああ、ここにも阿弥陀さまがはたらいておられるなぁ」と思いました。子どもたちの口からこぼれたお念仏は阿弥陀さまそのものです。阿弥陀さまがこの小さな子どもたちとご一緒してくださる。そんな姿を見ていると「ああ、私もこうやってお念仏申してきたのだなぁ」と思えたのです。

 私は自身がはじめてお念仏申したことを覚えていません。しかし、私が阿弥陀さまのことを知っていようがいまいが、お念仏を理解していようがいまいが、それに関わらず阿弥陀さまは私にはたらき続け、私をお念仏申す身に育ててくださっていたのです。私が先に阿弥陀さまを知ったのではなく、阿弥陀さまの方が先に私にはたらき続けてくださっていたのです。

 『梅一輪 大千世界の 春やどす』この句を味わうとき、大千世界とは仏さまのはたらきの届く範囲、つまり限りない阿弥陀さまの慈悲と受け止めます。その限りない慈悲が、たった一人の私に向けられている。それはまるで梅の一輪の花を咲かせるために、春がそのぬくもりの全てでもってつぼみを包み込むように、やさしくはたらきかけてくださっている。寒空の下で凍え震え、固く閉じたつぼみを、あたたかい光でほどき、咲くはずのない花を咲かせてくださる。そんな一輪の梅の花と、阿弥陀さまの願いを受けたこの私が重なるのです。

 阿弥陀さまが私の苦しみを見抜き、放っておけないと先回りをして私に救いの道をご用意してくださいました。その願いのはたらきにおまかせをして、南無阿弥陀仏の花を咲かせる人生を私たちは生きているのです。

福岡県北九州市 永明寺 松崎 智海

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