法話を聞く・読む / 今月の法話 バックナンバー(No.420)

今月の法話  バックナンバー(No.420)

令和5年4月 No.420
順縁・逆縁 すべてがおてとなる

 順縁・逆縁とはどういう意味でしょうか。広辞苑には次のようにあります。

順縁
  1. 老いたものから年齢順に死ぬこと。
  2. 順当な善い縁で仏道に入ること。
逆縁
  1. 年長者が年少者を供養すること。生前の仇敵が供養すること。
  2. 仏に反抗し、仏法をそしることがかえって仏道に入る因縁となること。

 仏さまは、私たちが生きている世界を「思い通りにならない世界」だとお示しくださいました。その思い通りにならない世界の中で私たちは順縁・逆縁というさまざまな別れを経験します。別れはつらく悲しいものですが、それを縁としてさまのおみのりをよろこばせていただけるのです。それは生老病死に意味を、意義をいただける人生を恵まれるといえるのかもしれません。

 平安時代中期に活躍された歌人・和泉式部は晩年に娘である小式部の内侍を失います。仲の良かった娘を失って、

とどめおきて 誰をあはれと思ふらん 子はまさるらん 子はまさりけり

亡くなった娘は、この世に自分の子どもたちと母親の私を残して、いったい誰のことをしみじみと思い出しているのだろう。きっと我が子を思う気持ちの方がまさっているのだろう。私もあの子との死別がつらくて、ひたすら思っているのだから。

と悲しみにくれる歌も残されています。しかし和泉式部は仏法に出遇い変わっていくのです。仏法に出遇い詠んだと伝わっている歌が、

夢の世に あだにはかなき 身を知れと 教えて還る 子は知識なり

この諸行無常の世界で老少不定と儚い命のありようを私に教え、諭し、仏法に導いてくれたあの子は、真実を伝えお浄土に還っていった知識菩薩さまでありました。

と歌われたのです。ここでいう知識とは仏教用語でいう善知識のことで、私を仏道に導いてくれる存在ということです。

 この度の人生でようやく素晴らしい阿弥陀さまのお慈悲の教えに出遇わせていただきました。その中で生老病死のすべてに意味をいただける人生を、この人間としての命を終えてお浄土に生まれるその日まで、あらゆる縁を通して仏さまからのお育てをいただく人生を恵まれることでありました。順縁・逆縁すべてがお育てになるのです。

山口県光市 光照寺 松浦 成秀

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