法話を聞く・読む / 今月の法話 バックナンバー(No.419)

今月の法話  バックナンバー(No.419)

令和5年3月 No.419
大切今日そう

 合理性を求める現代社会は、実力社会と言われるように、勝ち組や負け組など、効率を重視した社会です。しかし仏さまの前では、どのような人であろうとも等しく平等です。そんな豊かな仏教的な世界観が表現された「ひび割れ壺」というインドのある村が舞台の物語を紹介します。

 主人公の青年は長い天秤棒を首の後ろで担ぎ、左右に二つの壺をぶら下げて、毎日近くの小川に水を汲みに出かけます。一つの壺はひび割れの無いきれいな壺で、もう一つの壺はひび割れた壺でした。小川に着くと青年は両方の壺にめいっぱい水を汲みます。ところがどんなに水を汲んでも、家に着くころにはひび割れの壺は水が半分になってしまいます。きれいな壺はいつも水をこぼすことなく運び切れる自分を誇らしく思っていました。もう一方のひび割れの壺はいつも水を半分しか運びきれない自分を恥じていました。

 2年が過ぎ、すっかり落ち込んでいたひび割れ壺は水を汲む青年に言いました。「私はいつも自分が恥ずかしく本当にあなたに申し訳ないと思っています」すると青年は「なんでそんなに自分を責めるの?」と聞くと、ひび割れ壺は「私は2年間毎日このひび割れのせいで、せっかくの水を半分しか運ぶことができません。あなたの毎日の水汲みの努力に応えることができないのが本当に辛いです」と言います。青年はひび割れの壺に、「じゃあこれから家に帰るから、道端に咲いている綺麗な花を見てごらん」と言いました。すると、ひび割れ壺は天秤棒にぶら下げられて帰る道中の美しく咲き誇る花達に気づきました。花はとても美しく、ひび割れ壺は少し元気になりました。しかし、やはり家に着く頃には、また水を半分こぼしていたのが悲しくなり、青年に謝りました。すると青年は、「道端の花に気づいたかい?君の側にしか花は咲いていないんだよ。僕は君からこぼれる水に気づいて花の種を蒔いた。君は毎日この花に水をやってくれた。この2年間、君のお陰で毎日食卓に花を飾ることができたんだよ。君は君のままですばらしいんだよ」という物語です。私たちはそれぞれに違った個性や感性を持っています。また同時にそれぞれにひび割れているのかもしれません。それでもこのままの私を受け止めてくださる方がいます。それが阿弥陀さまです。仏さまの前ではすべてが等しく平等であり、一人一人が守られ、受け入れられる。そんな一人一人が美しく咲いていける、そんなお慈悲の世界が、仏さまが見ている世界です。その仏さまを頼りに生きるとき、新しい景色が見えるのではないでしょうか。

三重県桑名市 教宗寺 藤野 和成

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