法話を聞く・読む / 今月の法話 バックナンバー(No.406)

今月の法話  バックナンバー(No.406)

令和4年2月 No.406
ただ『今』を生きる

 阿弥陀さまの「必ずあなたを救いとる」という願いは「いつでも、どこでも、誰にでも」届いています。と言うことは『今、ここで』私ひとりの苦悩の上に常にはたらいてくださっているのです。

 私自身の姿を思う時3つの見え方があると思います。一つには「私の知らない私」自分の事は自分が一番よくわかっているつもりですが、自分では気づけない嫌なところもたくさんあると思います。きっと周りの人は知っているのだけど、知らないふりをしてくれているのかも知れません。

 次に「私しか知らない私」私は心の中でどれだけの欲や腹立ちの心を持ち、人をんだりんだり差別していることか。しかしそれを他人に知られるわけにはいかないので隠しながら、自分でも気づかないフリをしながら日々を過ごしているのでしょう。

 そしてもう一つが「仏さまに見抜かれた私」阿弥陀さまは「あなたの欲の心も、怒りも愚かさも知っているよ」とおっしゃるのです。それだけでなく「あなたの悲しみも知っているよ、苦しいね、辛いね、寂しいね」と私とともに、いや私に先んじて悲しんでくださる仏さまなのです。

 ずいぶん前の事になりますが、若くしてお連れ合いさんを亡くされた男性のご門徒さんがお寺にお参りくださいました。小さな子どもさんをお一人で育てておられるのです。最初は笑顔でお話をされていたのですが、帰る間際に阿弥陀さまの前にすわり、そのうちに肩を震わせて涙されたのです。大きな声で亡きお連れ合いさんの名前を呼びながら涙を流されました。子どもたちの前で泣くことも出来ず、いつも笑顔のままで心の中でだけ、涙を流してこられたのでしょう。

 そしてこうおっしゃったのです「今日はお寺に来てよかった、お寺って泣いていい場所だったんですね」と。安心して泣ける私の居場所がある、そう教えてくださいました。

 阿弥陀さまは私がいかに隠そうともすべてをご存知、つまり私の正体がバレてしまっているのです。隠し事をしていると、もしバレたらどうしようかと心配になりますが、バレたらもう隠さなくて良いのですから安心です。本当の安心がそこにあります。だからこそ阿弥陀さまの前では安心して涙を流すこともできるのです。

 今の私にどれほどの苦悩があろうとも、そのままに包み込んでくださる阿弥陀さまがご一緒です。安心して、ともに歩ませていただきましょう。

宮崎県高千穂町 浄光寺 岩尾 秀紀

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