法話を聞く・読む / 今月の法話 バックナンバー(No.371)

今月の法話  バックナンバー(No.371)

平成31年3月 No.371
く まって

 あるとき、ご門徒の三十三回忌の法要が勤まりました。施主である60過ぎの奥さんのお父さんの三十三回忌です。その際、この奥さんが息子さんに向かってこんな話をされました。

 「お父さんが亡くなった32年前は実に大変な年だったの。あなたはまだ4歳でよく覚えていないでしょうけど、あの年は1年で親戚だけでも4人続けて亡くなったのよ。そのときあなたは私にこんなことを聞いたの。『ねえねえ、お母さんも、もしかして死ぬの?』って。お母さんは答えたわよ。『私はまだ若いから大丈夫。でも人生何が起こるかわからないものね。もしかしたら死ぬかもしれないわね』って。そしたらあなたは、『じゃあそのとき、ぼくはどうしたらいいの?』『そりゃ、親戚の叔父さん家に行くしかないわね』そしたらあなたは、『そりゃ、つまらん』って言うのよ。『なんで?』って聞いたら、あなたはお仏壇を指して『だってうちにはあれがあるもの。あれを置いてぼくは行けん』ってね」。

 この子はなぜこんなことを言ったのでしょうか。4歳の子どもにお仏壇の何たるかがわかっていったとは思えません。そこで思い出すのが、若かりしころのこのお母さんの姿です。若いころからこのお母さんは、朝はお仏飯をお供えし、お参りを欠かさない方でした。そんなとき、この子はどのように過ごしていたのでしょうか。お母さんとともに、お仏壇の前で手を合わせながら育ったに違いありません。その時間の積み重ね、母の姿がこの子に「あれを置いて、ぼくは行けん」と言わしめたのです。

 私たちは、知らず知らずのうちに、お育てにあずかっております。花が咲くことも、光や水といった気象条件が整った上に成り立つことですが、手を合わすこと、お念仏申すことも、私たちの身の回りの方や阿弥陀さまのおはたらきの上に成り立っていることなのです。その我が身の上にはたらいてくださる大悲を仰ぐばかりです。

福岡県行橋市 両徳寺 舟川 智也

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