法話を聞く・読む / 今月の法話 バックナンバー(No.423)

今月の法話  バックナンバー(No.423)

令和5年7月 No.423
べることがみのタネに

 私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のように、地面を速くは走れない。 私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のようにたくさんの唄は知らないよ。鈴と小鳥とそれから私、みんなちがって、みんないい。

 金子みすゞという童謡詩人が制作された「私と小鳥と鈴と」という詩です。みすゞさんは幼少の頃より篤信の門徒であった祖母の金子ウメさんに連れられてお寺に参り、すべての「いのち」を平等に救いとろうとされる、さまのお心を聞いて育ちました。だからでしょうか、みすゞさんの詩には「いのち」に対する優しさにあふれ、どこかあたたかい温もりを感じるのです。その温もりとは、きっと阿弥陀さまのお慈悲の温もりなのでしょう。

 私には小学校に通い始めた息子がいます。名前を
といいます。その朋弥が5歳の時、当時通園していた子ども園から「朋弥くんが、何かおかしいです。迎えに来てください」と電話がかかってきました。迎えにいくと、確かに朋弥の息が変なのです。苦しそうに息をしています。ただ事ではないと思って、病院に向かって車を走らせたのですが、その道中、呼吸が止まって死ぬのではないかと、心配でたまりませんでした。病院で先生に診察をしていただくと、特に、身体に悪い所は無い、心配はいらないとの診断でした。診断結果をうけて、夫婦で話し合った結果、朋弥の呼吸は、ストレスや不安を感じた事がきっかけで発症するといわれる「チック症状」のひとつではないかという結論にいたりました。

 何にストレスを感じていたのか思い当たる事がありました。数日後に控えていた運動会です。朋弥は、運動会にお父さんは来るのかと、しきりに聞いてきました。日頃はお寺の事で、なかなか子ども園の行事に参加出来なかったのですが、この年は日程が空いていましたから「見に行くよ」と答えると、朋弥は非常に喜んで、「かけっこで1番を取るからね」と張り切っていました。しかしながら、練習でかけっこを繰り返しても、1回も朋弥は1番にはなれなかったそうです。おそらく、朋弥はお友達と自分を比べてどうしても勝てないと思い、良いところが見せられないと悩んだのでしょう。だから私は、「朋弥が走っている姿を見るだけで、お父さんは嬉しいよ」と伝えると、朋弥は何かほっとして安心したようでした。

をもって衆生そなはすこと、平等にして
のごとし。
ゆゑにわれ、帰命し礼らいしたてまつる

 親鸞聖人がお念仏の先生と讃えられた高僧
のお言葉です。阿弥陀さまは、お慈悲の眼をもって私たちを平等に視てくださり、ひとり子のように、私たち一人ひとりを思ってくださいます。そこには一切の差別や区別はありません。それにも関わらず、私たちは他人と自分を比べ、少しでも自分が得をするように、人より上にランクされ、差をつけようと競争します。また、他人と比べる事により自分の現在地を確認し、その存在価値を得ようと日々の生活を頑張っています。それは、人間としての向上心の現れかもしれませんが、結果的にそれが悩みのタネとなり優越感や劣等感で苦しんでいるのではないでしょうか。私とあなたは決して同じではありません。能力も環境もすべてが違います。その違いを比べて苦しんでいる私だからこそ、阿弥陀さまは「みんなちがって、みんないい」と比べる事なく、私をそのままにすくい取り、仏にしてやりたいとはたらいておられるのです。これからの日暮のなかで、比べることが悩みのタネになった時は、ぜひそのタネをご縁として絶対平等の阿弥陀さまのお心を聞かせていただきましょう。そうして、あたたかい阿弥陀さまのお慈悲の温もりに触れていただけたらと存じます。

山口県下関市 常元寺 伯 浄教

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