法話を聞く・読む / 今月の法話 バックナンバー(No.448)

今月の法話  バックナンバー(No.448)

令和7年8月 No.448
追悼ちは二度しません

 「悼」の字を漢和辞典で調べてみると、「七歳の子ども」とあり、首を傾げました。調べると中国では3歳を、5歳以下を、7歳を、十歳をと言ったそうです。また辞典には、「その歳まわりで死ぬようなことがあると、哀悼極まりないということである」ともありました。

 「戦争は老人たちが始め、若者たちが犠牲になる」この言葉はアメリカの元大統領ハーバート・フーバー氏の言葉とも、大橋巨泉氏や落合陽一氏の言葉とも伝わっています。戦争では悼の子たちがたくさん犠牲になります。子を亡くす親の哀しみは資料ではわからないほど深く、気持ちがわかるとは口が裂けても言えません。

 親鸞聖人は『浄土和讃 』に「十方如来衆生一子のごとく憐念す」とお示しになられます。
さまは私たち衆生を一人子のようにみ、哀しみ泣くことがあれば、共に哀しみ泣いてくださるといいます。山口県出身の金子みすゞ氏が「さびしいとき」という詩を遺されています。

  私がさびしいときに、よその人は知らないの。
  私がさびしいときに、お友だちは笑ふの。
  私がさびしいときに、お母さんはやさしいの。
  私がさびしいときに、佛さまはさびしいの。

 私の寂しさ、哀しみは誰にも理解されません。世界でただ一人、母は理解し優しくしてくれます。しかし、十方世界にただ一仏、私と同じ寂しさを抱き、同じ哀しみの涙を流してくださる方がおられます。それが阿弥陀という仏さまであると親鸞聖人がお慶びくださいました。子を亡くす親の哀しみだけ、仏さまも哀しみ泣いてくださっていたことでしょう。仏さまにも随分と哀しい思いをさせてしまいました。

 今年戦後八〇年を迎えます。令和5年の平均寿命が男性で八十一歳ということに鑑みると、戦争を知らない時代の足音が聞こえてきました。だからこそ、歴史にするのでなく、「二度と繰り返しません」という意識を再確認する年にしたいです。

山口県防府市 万巧寺 石丸 涼道

サイト表示 : スマートフォン版パソコン版