法話を聞く・読む / 今月の法話 バックナンバー(No.411)

今月の法話  バックナンバー(No.411)

令和4年7月 No.411
しぐれ 今日一日しみつつ

 大阪府高槻市に行信教校という、浄土真宗のおみのりを学ぶことのできる学校があります。この行信教校の講堂には正面に「学仏大悲心」と書かれた大きな額がかかっています。在学当時、4月の入学式では、校長を務めておられた梯實圓和上が毎年必ず同じお話をされていました。
「皆さん、ご入学おめでとうございます。これから皆さんは『学仏大悲心』のお言葉の通り、
さまのおを学んでいかれます。けれどこの『学ぶ』というのは、ただ机の上の勉強だけをさすのではありません。『まなぶ』とは『まねる』ということです。如来さまのお心を聞かせていただいたのであれば、どうぞ如来さまの真似をしてみてください。真似をして初めて、お慈悲というものの尊さと、それを実践していくことの難しさが見えてくるのです」

 あなたの幸せが私の幸せであり、あなたの悲しみが私の悲しみであるという阿弥陀さまのお心を「慈悲」といいます。そして、お慈悲という阿弥陀さまのあり方と今の自分を照らしてみれば、とてもそういう生き方はできない自分の姿が見えてきます。

 しかし、ここで大切なことは、お慈悲の実践ができるかどうかではなく、お慈悲という阿弥陀さまのありかたを尊いと感じられるかどうかです。「阿弥陀さまのようにはできないけれど、確かにお慈悲というあり方ってよいものですね。相手の幸せをよろこび、相手の痛みと共感しながら生きていけたとしたら、それはすばらしいことだと思います。お慈悲という生き方を一つの目標として生活させていただきます」と感じることができたとき、そこに尊いものを敬う生き方があらわれてきます。

 そして、阿弥陀さまを正しいお方であると受け入れ、自らが恥ずかしいあり方をしていると自覚し、わが身を省みながら生きようとするとき、阿弥陀さまとお出遇いした人生を歩んでいると言えるのではないでしょうか。

広島県呉市 登照寺 服部 法紹

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